storia〜di domani〜[明日の物語]              nishiki-silatama


episodio#2  durata della memoria




01. ------------------------------------------------


夕暮れ近くなって、俺たち二人は何事も無くドゥエの街へと辿り着いた。

「着いたー。」

「おう、予定よりは若干早く着いたな。」


俺達の視界を阻む様に人の背の高さも何倍もある堅牢そうな壁が水平に広がっていて
その中央に人々が大量に出入りする門がある。
あれがこの街の南端に位置する玄関口だ。

ちなみに着いたとは言ってもこの場所は、何区画にも分かれるこの商業都市のほんの端っこに過ぎず
今日の宿がある区画までは、もう少し歩かないといけない。

「お城じゃないのに、こんな大きな塀があるんだね。」

「城の場合だと塀って言うより城壁だろ。
ただの街にこんなモノ、今となったら仰々しいだけなんだよな。」

一般的に、街がこれほど大きな塀を備えている例は無い所為か、門を潜りながら物珍しげに見上げていく人も居る。
ティも勿論、その多分に漏れる事は無く
この門について俺が知っている豆知識を披露しつつ
二人揃って人の波に乗るように門を潜り、街へと入った。



この街を取り囲むように配置されている塀も門も
かつては、街への魔物の侵入を食い止めていた重要な設備。

警備上の問題から、日が落ちる前に必ず閉門になる為
それまでに街に着けなかった旅人は魔物のうろつく夜の街道での野宿を余儀なくされる。
当然のように、門が閉まってる間は中から街の外へ出ることもできなかった。

今も慣習的に開け閉めはしてるものの、夜でも出入りはできるらしい。
まぁ門番が居るってだけで犯罪の抑止効果ぐらいはあるだろう。



「人ごみに入るときは、大事なもの取られない様に気をつけろよ。」

「判ってる。」

金は俺が持ってるし、ティが自分のバックパックにだけ気をつけてもらえば
あんまり警戒することも無いだろう。

…とか言ってたら
腰のブロードソードの結わえ紐、締めなおしてるし。
ハッキリ言うとそれは貴重品でもなんでもない。
取るやついねぇよ。


それはさておき、往来する人間が多ければ多いほど
そういった類の職業の方も比例して多くなるので
「自分の物は自分で守れ」の精神は、此処では今でも当たり前に通用する。


「これからどうするの?」

「とりあえず宿の確保、その後余裕があったら機械牛の情報集めかな。」


オヤジさんも詳しくは教えてくれてないから
どこに行けばいいのかさえ、実は判らない状態。

「あんだけ有名なモノなら街の誰かが知ってるだろ。」

「適当だね…。」

「聞き込み調査は重要だぞ。」


来たことがあると言っても、ここで何かを探した記憶はない。
なにせ迷宮で抜け道を探すのとは勝手が違う。


「ま、宿だけは見当をつけてあるから安心しろ。」

「そうなの?」

「お前が一緒なんだ、メシが美味いところにしないとな。」


もっとも、宿のグレードも俺には二つぐらいしか選択肢が無い。
それをこの街に当てはめると、一つはメシも風呂もないコスト控えめの寝るだけの安宿。
もう一つはアットホームでメシの美味い、無理のない程度の宿。
言うなれば旅先の我が家。

今日、向かおうとしてるのは後者の方だ。


「わ、やった!」


街の入り口からはそれなりに歩かないといけないものの
初めて大きな街に来て、見るもの全てが新鮮なティにとっては別に大した苦でも無いらしく
石畳の道を一人で先走って行ってしまう。


「迷うなよ、そして躓いてコケるなよ。」

「どっちも大丈夫ー。」


俺はどっちも心配だ。





街並やそれを縫って延びる道は、区画整理でも無い限り変わらないだろうけど
俺がしばらく来てないうちに新しい店ができてたり建て替えられたりしてる模様で
若干あやふやな記憶を探りながら、とりあえず目的の宿を目指す。




「…。」



果たして変わったのは、新しい店ができた所為だけなのか。

さっきから
なんとなく感じている違和感がある。

道は間違って無いはずなのに、何かが微妙にズレてる様な感覚だ。


「エスタ兄ー。どっち行けばいいの?」

俺より少し先行していたティが、手を振っている。
その小さな酒場のある四つ角には見覚えがあるから、どうやら道は合ってるらしい。


「右だ。」

「了解ー」


覚えている通りなら、曲がって少し歩けば目的の宿「銀花亭」だ。
扉に大きな花のレリーフがあるから、前を通れば間違い無く気付くだろう。






だがしかし、無事に着けそうな事に安心する間もなく



「きゃっ」

「あいたっ!」


不意に曲がり角の向こうから二人分の声と、何かが倒れたような音。
片方は間違いなくティだ。



「大丈夫か?」


まさかいきなり怪我とかしてないだろうな?と
小走り気味に、消えた姿を追う形で曲がり角を折れると
そのすぐの近くで尻餅をついているティと、ローブ姿のもう一人の姿。

倒れている位置と、すぐ近くのパン屋のドアがまだ揺れているところから
どうも店から出てきた相手と出会い頭にぶつかって転んだらしい。


「いたたたた。」

「お前なぁ…早速何やってんだ。」


気をつけろといった傍からこの始末じゃ、この先が相当思いやられる。


「そっちの人は大丈夫か?」

「え…、あ?は、ハイ。」


いきなり衝突されて何が起こったのか理解できてないに違いない。

かぶりを振って、ローブ姿の被害者が体を起こすと
深めにかぶっていたフードが後ろへずれて、その顔立ちが露になった。


「すいません、ボーッっとしてて…。」


見た目の年齢で言うと俺たちに近い位。
服の汚れを払いながらゆっくりと立ち上がったのは、金色のおさげ髪の少女。

ローブを着込んでいるのではっきりとは判らないが
見える部分からは、随分と華奢な印象を受ける。


「お怪我はありませんでした?」

「いや、謝るのはこっちの方だから。」


とりあえず、客観的に見て加害者に該当するティの頭をわっしと掴み
強引に下げさせる。


「ホラ謝れ。」



「へへ、ごめんなさい。ちょっと浮かれすぎちゃって。」

「あ、いえ。その、全然大丈夫ですから。
眼鏡を忘れたもので周りがよく見えて無くて、ごめんなさい。」


その言葉通り、普段眼鏡を着けているのなら今日は忘れてきて正解だ。
下手したら割れて大怪我してたかもしれない。

とりあえずは服が汚れる程度で済んだのか、怪我も無さそうで一安心だ。

ただ、このコが目の前の店で買ったんだろうモノが
蔦で編まれたカゴごと地面に落ちて、その辺りに散乱してしまっていた。



「悪い。このパン、アンタのだろ。」

「あっ」


保護者代理としては身内の不始末を放置するワケにもいかず
落ちているモノを拾い上げてみる。と




それは普通のパンでなく


「固い…気がするんだが。」


叩くとゴスゴスと音がしそうな位に乾燥していて
もはやパンと呼べる部分は、見た目だけだ。


「あれ、これカビてるよ?」


ティも、一緒にパンらしきものを拾い上げながら首をかしげている。
確かに買ったものにしては質が悪すぎだ。


「なぁ。」

「は、ハイっ!?」

「アンタ眼鏡忘れたって言ってたけど、見えてないからって悪い品掴まされてないか?」

カゴから散乱しているのは他にもある。
ちょっと色の悪くなった野菜や、しなびかけで半分乾燥品みたいになったハーブなんか。
買い物途中に見えるけれど
行く先々でこんなモノを押し付けられてるとしたら、許せねぇ話だ。



「文句いってやるか。」



俺がパン屋の方を向き直った途端、ローブの少女は慌てて俺の前方に回りこんだ。


「あの、ち…ち、違うんです。これは判ってて貰ったものなんです!」



「へ?」

「パン屋さんや、他の皆様のご好意で…。」


そう弁明しながら、恥ずかしそうに落ちているものを一人で拾い集め
一つ一つ丁寧にカゴに入れていく。


どうやら、理由があるらしい。





「私、お師匠様の所に住み込みで研究をしてるんですけど
実験器具や素材を買うのにすごくお金がかかるせいで
研究のための援助のお金は、その…あまり食事に使えなくて。」


「ははぁ」

「お恥ずかしい限りです。」

儲からない学者と、その弟子といったところか。


大きな街じゃ結構よくある話で、援助をしてくれるスポンサーが居そうな街で研究や開発をして
その成果を反映させる形でスポンサーに利益を独占させる。
研究好きなヤツってのは、利益が欲しいんじゃなくて
その過程と理論の実証を楽みたいだけ、みたいなフシがあるから
うまくすれば利害が一致する。

ただ、この子の師匠が何を研究してるのかしらないけど
金を無制限に食いつぶすのを前提にしてる実験なんかには
喜んで出資するヤツは居ないって事だ。

完成間近になったら、イヤってほど押し掛けて来るだろうけど。
アレンチのオッサンなんかはその最たる所かもしれない。




まぁ、モノが最初から痛んでいたものとは言え
さすがにこっちからぶつかっておいて落としておいて
ハイすいませんでした。では済ませられない。


「ねぇ、エスタ兄。」

「ああ。」


ティは、俺に目で合図して
一人でパン屋の中へ入って行く。



「悪いけどちょっと待っててくれ。」


「ハイ、構いませんけど…?」













「お待たせー。」


しばらくして、パン屋の中からティが抱えて出てきたのは
落としたのと同じ数の、ふっくらとした大き目のパン。
よく食卓に出るフォカッチャとは違った感じで、余すところ無く狐色の焼き加減が魅力的だ。


「ぶつかっちゃったのと、あと色々落としちゃってごめんね。
お詫びに食べてもらえる?」


「え、そんな事してもらったら…。」


元々捨てるものですし落ちたぐらいならと、受け取るのを躊躇う少女に
ティと二人で、パンを半ば無理矢理に渡す。


「お詫びを受け取ってもらえないと、俺達も困る。」

「そうそう。困る。」


「そう、ですか…?本当にいいんですか??」

「タックルかました手前もあるしな。」

ぶちかましたのは俺じゃなくて、ティだけど。
そもそも、学者の卵ならメシぐらいはちゃんと食べないと脳も回らないだろ。


「あとオマケ。美味しそうだったから。」


ティは、そう言いながらパンの山の上にもう一つ
赤い何かの入った小瓶を置く。

「これ、ジャムか?」

「イチゴジャムだよ。良かったら一緒にどうぞ。」


「こんなに美味しそうな物頂くの、初めてです。」

カゴを下げた状態で両手に一杯パンを抱え、ついでにジャムの瓶を追加されて
目をまん丸にして動揺している金髪の少女。


「ありがとうございます!」


お礼を言われても、こっちはお詫びのつもりなんだが。


「さて、それじゃぁそろそろ俺達も宿へ行くか。誰かの所為で結局遅くなったし。」

夕暮れも過ぎ、もう夜の闇が近くなってきてるから
あんまり立ち話をするわけにもいかない。


「うん、ごめんねエスタ兄。」


「そう言えば…お二人は観光かお買い物でこの街に?」

「いや。ちょっとした調べ物というか、勉強に。」


「そうなんですか。
この街は商業面だけじゃなくて技術面でもかなり評価は高いと思いますので
たくさん発見できる事があると思いますよ。」


勉強、と聞いた途端に少女の目が輝きだす。
ティの冒険に対する輝きとはまた違った感じの、夢見る少女の瞳。



「あ、ああ。俺もそう聞いてる。」


判ってたけど、どうにも俺はこの感じが苦手だ。



「ハイ…あの、申し遅れました。私、アルテといいます。」

金髪のおさげ少女
アルテは自分でそう名乗ると、ぺこりと頭を下げた。


「普段は北区画にあるエクウィル師匠の家でお世話になって居ますので
この街の事や調べ物で判らない事があったら、訪ねて来てくださいね。
喜んでお手伝いさせてもらいますから。」

「アルテちゃんだね?あたしティっていうの、よろしく!…で、こっちはエスタ兄。」


「よろしく。」

「こちらこそ、よろしくお願いします。」


この街に住んでて、研究をしてるような人間なら
機械牛についても人並み以上に詳しそうな気がする。

その上にこの子の住んでるらしき北の区画の、特に西側は
確か職人の工房が多い辺りだから調査にはもってこいだ。

これは、なんとなく幸運な出会いかもしれない。


「また日を改めて、かな。そろそろ暗くなってきたし
アルテさんも帰ったほうがいい。」

暗くなると足元が危ない以外に
女の一人歩きには、色々と危ない要素が増える。


「アルテ、で結構です。エスタさん。」


ご心配なく。と、はにかむ顔がちょっと可愛いなとか、柄にも無く思ってしまう俺。
さっきまで怯えた様子だったから気づかなかっただけで
笑顔になるとそれなりに惹かれる感じだ。

ただし、俺の好み、というワケじゃない。


「私もお夕飯を作らないといけないので急いで帰りますね。
お二人は、宿はもうお決まりですか?」


「決まってるんだよね?」

「銀花亭ってとこなんだけど。ほら、あそこ。」


俺達が立ち話をしている場所からでも見える位置にある宿を指差す。
正にこの通りの何軒か向こうだ。


「そうですか。銀花亭さんにはいつもお世話になっていますからよく存じてます。
お知り合いなんですか?」

「まぁ…馴染みの宿でもあるし、古い知り合い、かな。」


その宿を経営しているのは、オヤジさんとはかなり長く付き合いのある人でもあり
俺もそれに習うワケだ。
と、ずれば人間関係のワクも極めて絞られてくる。


「そうなんだ。」

「お前には後で紹介してやるよ。」

「うんうん。」


だんだんとティも立ち話に飽きてきたらしいので、話題の中心になっている銀花亭へ向かう事にして
立ち話の続きはまた今度、とアルテに手を振る。


「帰り道に気をつけてな。特に足元。」

「またねー。」


「はい、ありがとうございます。」



丁寧に頭を下げ、俺達が曲がってきた角の方へ消えようとしたアルテだが
背中を向けて一歩二歩と進んだ後




「っ!?」




アルテは見事としか言いようの無いぐらいの不運さで
石畳のほんの僅かな凹凸に爪先を引っ掛けて、大きくよろめくいた。

「だろうと思った!」

咄嗟に、歩けば数歩程度の距離を踏み込んで手を伸ばし
ローブの上から、がしと腕を掴んで引き寄せて
二度目の転倒だけは食い止める。



「あ…。」



「だから足元に気をつけなって。」

「す、すみませんっ…エスタさん!」


パンを落とさないように両手で抱いていた所為で
自分のすぐ足元が見えなかったんだろう。


「アルテもパンも、無事みたいで何よりだ。」






その後、アルテは顔を真っ赤にして、何度も頭を下げつつ
今度はパンと足元の両方を気にしながら帰っていった。

よっぽど、自分の天然っぷりが恥ずかしかったんだろう。

心配だから送るって言っても、頑なに拒否する本人の意思を尊重して
姿が見えなくなるまで見送るだけに止めた。



「俺達も行くか、腹減ってきたし。」


「…アルテちゃん送ってあげなくてよかったの?」

「地元だし大丈夫だろ。」


足元が怪しいのは眼鏡が無いせいだと言い切れたとしても
毎日買い物するような場所で道に迷ったりするようなら、色々な意味でホンモノだ。

「ふーん。」

「何ニヤニヤしてんだ、お前。」

何を企んでいるのやら
なんとも言えない生温い笑顔で
こっちを見ているティが、凄く気になる。

「あたしが思うには、あれはきっと一目惚れだよ。」

「何を言うかと思えば…」

前々から、コイツには
たまにとんでもない事言い出す癖があるのは知ってたけど
ここしばらくで頻度上がって無いか?

「真っ赤になってエスタ兄を見つめてた
あのアルテちゃんの目は、間違いなく恋だよ。恋!」

いや、ただ単にドジな所見せたのが
恥ずかしかったんだと俺は思う。

「そもそも俺は初めて会ったばっかりだし
お前が突撃して転ばせたから、お詫びにパン弁償しただけだろ?
どこに俺に対するドキドキ要素があったのか言ってみろ。根拠を。」


疑問と一緒に、ずずいと額に指を突きつけると
ティは口を尖らせて反論する。


「む。それは乙女の勘だもん!エスタ兄に判るわけないよー。」


「そりゃ一般的に「女の勘は鋭い」って言うけど
性別は女でも、ことお前のカンとなるとアテにならない気がする。」

「酷っ!」


いざ女の子の事で困っても助言してあげないからねと
ぷうっと、さっきの焼きたてパンみたいに頬を膨らませる。

とか、そんな事を思い出してたら
余計に腹が減ってきた。




「そんなんじゃ、好きです!って言う子がもし出てきても
すぐ振られちゃうんだからね。」

「判った判った。悪かった。」



もし仮にそういう相手が出てきたとしても
俺が「自分もです」と、言う事は無いだろう。
今までもそうだったし

そういう相手が欲しいとも格別思わないし

こんな俺が、他人をずっと好きで居られる筈も無い。




「ホラ、いつも言ってるみたいに俺には理想のタイプがあるからさ。
アルテも一般の水準で見たら可愛かったけど…まだまだだな。」

「またー。そんな事言ってるから彼女できないんだよ?」

「しょうがないだろ?もっと大人っぽくて、健康的で明るくて
ワガママ聞いてくれそうなさらさらロングヘアの女に弱いんだよ。俺。」


と、俺が創り上げている
おおよそ実在する人間とは思えない、偏り気味な理想像に対して
ティが呆れたように深いため息をつく。


「胸の大きいのが良い、って言うの忘れてる。」

「それは基本だろ?」


「もー、そんな事言わなかったらきっとモテるのに!」



「ねぇなぁ。」





一歩間違えたらただの妄想壁なのに、それでもいい。と、思う自分。

勝手に、俺を好きと言ってくれるはずの無い人物像をでっちあげて
それを盾にして
好きになることも、なられることも、面倒な事に巻き込まれるのは拒んで生きる。

他人を無理矢理受け入れる事はもとより
今は自分一人を支えるのに、精一杯だ。


「お前を嫁に送り出したら、その後でボチボチ考えるよ。」


「えー?あたしはエスタ兄に彼女ができたら、彼氏作るつもりなのに。」

「…何だ、その可能性の見つからないループは。」


ティの髪を子供にするように、くしゃりと撫でそうになり
上げた手をもう一度元に位置へ戻す。
今までは何も気にしなかった事が、不意に重たく感じられて手を止めてしまった。


「しばらくループでもいいよ、今はそれよりも楽しい事があるんだから。」

「そんならいいか。」


笑顔が、暗くてよく見えない。
笑い声だけは聞こえるのに。


「うん、行こ。」


ぐい、と躊躇いも無くティに手を引かれ

小さい頃の様に無言でそれに従い、改めて銀花亭の扉を目指す。



懐かしい所へ行くからと行って
懐かし過ぎる記憶まで思い出すことは無いのに、と

自分に、愚痴をこぼしながら。











02. ------------------------------------------------



「こんばんは。」

ゆっくりと、大きな花のレリーフを施した扉を開けて中の様子を覗うと
あまり広いとは言い難い食堂のような店内で
長い髪を結ってまとめ上げた背の高い女性が一人、懸命に床の拭き掃除をしている。


「邪魔してもいい?」

「いらっしゃいま…あら、珍しく旅のお客さんかと思ったら。」

「一応は客だよ。ご無沙汰、フレッカ姐。」


背中にかついでいたバックパックを下ろし
絞っていた雑巾を置き、俺の方にやって来るエプロン姿のその人に
いつものように挨拶を返す。


「ちょっとこの街に用事があって来たんだけど、泊まれる?」

「勿論。それに空き部屋が無くても、わたしの部屋に泊めてあげるわよ。
…それにしても随分久しぶりね、エスタ。元気にしてた?」

「まぁ、それなりに。」


適当に返事をしながら、その辺のテーブルにおいてある水を注いで
我が家でする様に椅子に座りつつ勝手に飲む。
この辺の気軽さが、俺の「旅先の我が家」たる所以だ。



「…アンタは相変わらずね。で、ブラーヴァさんも一緒?」


「いやオヤジさんは来てないけど。代わりに…ホラ。紹介してやるから。」


手招きをして、入り口の扉に隠れるようにして立っていたティを呼ぶ。

せっかく宿についたんだから俺みたいにリラックスすればいいのに
ひょっとしたら、フレッカ姐の声のでかさに萎縮してるのか。
あるいは珍しく人見知りか。


「あら?随分と可愛いお嬢さん連れてきたじゃない。彼女?」

「言うと思ったけど、違う。」


「つまんないの。」




「初めまして、ティって言います。」



ティ?と、名前を反芻してフレッカ姐は俺を見る。
記憶のどこかに引っ掛かりがある顔。
それもそのはずだ。


「オヤジさんの娘のティだよ、フレッカ姐は会ったこと覚えてるだろ?」

「勿論よ!すっかり大きくなっちゃって、全然判んなかったー。
言われてみればもうあれから何年も経つんだもんね…。」


遠いところを見ながら、しみじみと感慨深そうに頷くフレッカ姐だが
それに反してティはきょとんとした目で俺を見る。

覚えてなくても、まぁムリは無い。

当時のフレッカ姐とは人相も格好も微妙に違うし
言ったら酷い目に遭いそうだけど、若さも違う。


「あのな、ティ。お前小さい頃何度かフレッカ姐と会ってるんだよ。」

「そうなの?ごめんなさい、覚えてない…」


「仕方ないさ。まぁ改めて紹介すると、この人はフレッカ…さん、て言って
オヤジさんたちと一緒に旅してたんだけど、旅団が解散になった後はここで宿屋やってるんだ。
で、俺たちがこの街に来たときはたびたびお世話になってると。」


改めて敬称をつけて紹介すると、なんか照れくさい。

そもそも俺にとってフレッカ姐やオヤジさんもそうだけど
旅団の面々は、数年間に過ぎないにしても一緒に過ごした
家族みたいなモノだからかもしれない。


「そうなんだ…二人とも長い付き合いの人なんだね。
フレッカさん、お父さんとエスタ兄がいつもお世話になってます。」

「こちらこそ。二人にはいつも贔屓にしてもらってるわ。」


礼儀正しい挨拶に、フレッカ姐はにこにこと上機嫌だ。
予想外の来客がよっぽど嬉しいに違いない。


「それじゃ直ぐ部屋の用意してくるから、二人とも座ってて。
あ、夕ご飯は食べてきた?」

「全然。期待して腹減らして来たから、よろしく。」

「はいはい。荷物は自分で運んでね。」


そういい残すと、雑巾とバケツをさっさと仕舞い
フレッカ姐は部屋の準備をするために二階の宿部屋の方へ行ってしまった。


ティもティで、あちこちと店の中を歩き回って
置いてあるものなんかにもあれこれ興味を持ちそうなもんなのに
フレッカ姐に言われたまま静かにイスに座って、動こうとしない。


「…。」

「疲れたか?」

「ううん、そうじゃないよ。お父さんにもエスタ兄にも
私の知らない所がいっぱいあるんだなぁ…って、思っただけ。」


「俺もオヤジさんも、昔の話はあんまりしないからな。」

オヤジさんたちが旅団としてあちこちを旅していた頃
それは勿論、世界が平和とは言えなかった時代。
生まれて間も無かったティは、身体が弱くて旅に同行できなかった母親と一緒に
別の街で育ったって聞いた。

俺はその旅の途中でオヤジさんに拾われたから
実のところオヤジさんとは、実の娘のはずのティと同じくらいの時間を
一緒に過ごしている計算になる。



「昔の事、気になるか?」

その俺の問いに、思いがけずティは首を横に振る。


「気にはなるけど…聞けないよ。二人とも意識してないかもしれないけど
昔の事考えてる時、すごく難しい顔になるんだもん。
きっと思い出したくない無い事もあるんだよね?」」

「そうだな。」

そう言われて初めて気がつく。
いつの間にか、自分がそれを隠せなくなっていたことに。

楽しかった記憶よりも
二度と思い出したく無い事があまりに多すぎる。
魔物の血に濡れながら戦った日々や、多くの失われていった命の記憶

生きる為に、この手を汚し続けなければならなかった事。

そんな呪われた事実が染み出してこないように閉じ込めた場所は
ただの記憶に過ぎないから。






「ほら、その顔だって言ってんの!」

「ぐあっ!?」


一喝とともに側頭部に激痛が走り、変な悲鳴を上げてしまう。
突然背後から忍び寄ってきたフレッカ姐が
俺のコメカミを、両方から握り拳で締め上げている所為だ。

ぎりぎりみしみしという耳障りな音と同時に
痛みは瞬く間に全身に浸透する。


「痛ーッ!久しぶりだからかなり痛いッ!!」

「まったく、ヒトの店でそんな陰気な顔してんじゃ無いわよ。」


コブシが頭を締め付ける威力は、弓矢を引き絞る緊張のごとく凄まじく
更に後頭部に押し当てられる柔らかい物体の妙な気持ちよさが
俺の痛みに対する免疫を削り続けるという、危険なコンビネーション。


「不幸そうな顔してるヤツからは、幸せが逃げるのよ。」


パッと手を離されたので、殺人刑からは生還できたものの
まだ少し残っている痺れに似た痛みは忘れかけていたものを蘇らせ
同時に、黒く染まった記憶を頭の奥へ押し戻していた。


「ぐ…ごめん。」

「何よ、わたしに謝る必要ないの。
謝るのなら、気を使ってくれたティちゃんに謝りなさい。」


「え、あたしは別に…何も。」


あまりに遠慮が無い俺とフレッカ姐のやりとりに
置いてけぼりを食らっていたティもいきなり話を振られて応対に困っている。
まぁ、無理も無い。
このヒトの強引さとマイペースさは、オヤジさんも納得の折り紙つきだ。

「女の子と二人で話してるときに、意味も無く不機嫌そうな顔するだけで十分マナー違反なのよ?」



「というわけだ、悪かった。」

「そうなの?判った。許してあげるよー、エスタ兄。」


形だけでも大人しく謝らせとけ、という意思を込めて
わざと神妙そうな顔を作ってみせる俺に

小さく噴出しながら、同じように重々しく頷くティ。



「反省したんなら、今度から難しい顔しちゃ駄目だよ。約束。」

「以後気をつける。」



「…そんな謝り方しても、素直に許してくれる優しいコでよかったわね。」


そんな俺とティのいい加減なやりとりを見て、肩をすくめるフレッカ姐。
…本当に手綱の付けられない暴れ馬みたいなのじゃなくて良かったと思う。

それが誰を示しているかは、敢えて言わぬが吉だ。




「二階に部屋の用意ができたから先に荷物おいてらっしゃい。
ちゃんと謝ったご褒美に、ご飯はちゃんと用意しとくから。」

「メシ抜きにならなくて良かったよ。行くぞ、ティ。」

「うん。」



「あ、でもまだ何もできてないから一休みして降りてくる位でいいわよ。」

「了解。お言葉に甘えさせてもらう。」


俺とティはフレッカ姐に言われた部屋に向かおうと席を立ち、荷物をかつぎ直してから
階段のある店の奥のほうを目指す。


「あ。」

「ん、どうしたの?」


と、何を思ったのか不意にティが背負おうとした荷物をもう一度下に降ろし
フレッカ姐に歩み寄ると、ぺこりと頭を下げた。



「ありがとう、フレッカさん。」


「…ふふ。私、礼儀正しいコは大好きよ。」


それが何のお礼だったのかは、よく判らなかったものの

先に階段を上ろうとしていた俺の方へ向いて歩いてくるティも
食事の準備をしようとしているフレッカ姐も
二人とも笑顔だったから、気にしないことにしよう。

きっと女同士でしか判らない
何かがあるんだろうから。

















部屋に荷物を置き
旅の疲れを取るために、半時ほどベッドで休憩してから下へ降りると
既に夕食の準備を整えたフレッカ姐が待っていた。

そこに並べられた、湯気を立てる大皿の数々に
空腹のティが目を輝かせる。


「わ、すごいごちそう。」

「お腹空いてるでしょ?まずは冷めないうちにどうぞ。」

「うん、いただきまーす。」


ティに続いて俺も、いただきますの挨拶をして
遅めの夕食を開始する。
いつもはオヤジさんの酒場が本格的に忙しくなる前の小休止の時間に
皆で食べるから、割と規則正しく早めなんだけども
今日は珍しく延び延びになってしまった。


「今日は泊まりのお客さんも居ないし
突然来るなんて思ってなかったから、大したものは無いけど
量だけはたくさん作ったからね。」


そうとは言うものの、俺の好物であるところの
鶏肉を揚げて大蒜入りドレッシングで軽く和えたモノが、レタスの上に山と盛られていて
漂ってくるその香ばしい匂いが
言葉が必要無い位に歓迎の意を示してくれている。


「フレッカさん、これ何のパスタ?」


まずティの興味を惹いたのは
ヨモギのような色をしたソースを全体に絡めたパスタ。
他にも色々あるのに、何はともあれパスタに目が行くあたりが
いかにもコイツらしい。


「それは、岩場で採れる貝のキモをベースにしたソースよ。
キモだけじゃなく身も薄くスライスして混ぜてあるんだけど
ハーブと一緒に食べないとちょっと匂いが気になるかも。」

「へー、珍しいね。」



「こっちが普通のトマトソースパスタね。」


やった、と両手で万歳をするティ。
トマトソースなら、混ざってる具がなんだろうが大好物だから
その大皿を目の前に置いておけば、鳥の揚げ物は簡単に俺の方へキープできそうな気がする。
いつもだとオヤジさんと奪い合いになるから
ゆっくりと心ゆくまで味わうことができる機会は、かなり貴重。

旅してたころを考えると、他に人数も居たし量も少なかったし
材料もロクなもんが無かったしでメシ争奪戦はもっと熾烈だったから
たかがこんなコトで、妙に平和を意識してしまう。




三人でテーブルを囲みつつ
フレッカ姐が山のように準備してくれた夕食を食べ、次第に腹も膨れてくると
ここに来ようと街中を歩いているときから
なんとなく感じていた違和感のようなモノがになってきた。


「フレッカ姐」

「なぁに?」

「今日は他に泊まりの客が居ないって言ってたけど
居ないのって、この店だけじゃないよな。」


前に来たときも、その前も、この店の客だけでなくこの界隈にたくさんの旅人が居た。
なのに夕方の事を思い出すと
アルテとティがぶつかった事件の前後も、人の姿はまばらで
呼び込みをする食堂の店員の声も聞こえない。

それが違和感の正体だ。


「うーん、来るお客さんが少なくなってるのは確かかな?
商売にならないから、辞めて鞍替えしちゃったお店もあるし。」

「やっぱり。」

「ここはわたし一人が回してる店だから、儲けはあんまり考えてないし
逆にたくさん来られても大変だからねー。」


いや、さすがにそれは商売人の台詞じゃないだろ。

いくら趣味でやってるみたいな店とはいえ、開店休業状態はマイナスなだけだ。
現に酒場に客が少ない日はオヤジさんも機嫌が悪い。



「なんか原因があるんだろ。」

「ははぁ、心配してくれてるんだ?エスタ。」


パンを千切っていた手を止めて、にやっと笑うフレッカ姐。
それは明らかに、猫科の目だ。


「いいわよ。気になるなら教えてあげても。
隣の区画にね、センスもいいし安いし働いてるコも若くて美人が多いっていう
大人気間違いなしの大きい宿屋が出来たから、みんなそっちへ行っちゃってるみたいなのよね。」



「そりゃ勝てないワケだ。」

「…そんなにあっさり納得されるとカチンと来るけど。その通りなのよねー。」


その宿屋の繁盛ぶりに関して一点だけ、どうしても腑に落ちない点があるらしく
パンをパン粉にしそうな勢いでぶちぶちと千切るフレッカ姐。


「ごはんも、値段の割には美味しいらしいから
素泊まりの客目当ての周りの屋台もお手上げみたい。」


メシなら勝てるんじゃない?とでも言おうとしたのに
残念ながら、相手に勝てる要素がまた一つ消えた。

これだけ栄えてる街だから、客の取り合いはむしろ当然あるだろうし
大規模な店を構えて単価を下げて大量に客を捌く方式も
商売の方針としてアリといえばアリなんだろう。
とはいえ、一部に利権が集中するようなやり方は
普通なら所属する組合なんかが許さないと思うけどな。


「フレッカ姐、宿屋の組合はそれ許してるわけ?」



「…。」

俺の質問に、無言で食事を続けながら
親指と人差し指で輪を作ったものを突き出すフレッカ姐。


「ああ、そうか。」


ティの手前、食事のテーブルで薄汚い話はナシのつもりだろうけど
察するところは裏金ありき。
さすがに、おおっぴらには口にできないものの
陰で囁かれてるコトがあるんだろう。

こういうところは平和になっても何も変わんないんだよな…。





「首くくらないといけない位にお客さんが減ったら
またその時に考えるから、別にいいわよ。」

「じゃぁ、その時はあたしもお手伝いしに来る。」


俺達が会話してる間、延々とトマトソースのパスタを啜っていたティが
食う手を止めて高らかに宣言する。


「確かに、ティちゃんにウェイトレスしてもらったらお客さん来るかもね。」


来るのは一部のマニアックな客だろうけどな。


「ウェイトレスなら今でも家でやってるから、楽勝だよ?
あ、でも今はムリかな。エスタ兄の修行のお手伝いしないといけないし。」


いつの間にかティはトマトソースを攻略して別の皿に盛られたパスタに向かっている。
ウマイのは解るけど、どれだけ食う気なんだろう。


「…修行?」

「ああ。」

空いた皿を片付けていたフレッカ姐が
「修行」という言葉に弾かれたかの様に俺を見る。
その目つきはまるで、何か亡霊でも見るかの様だ。


「エスタ、あんたまさか」


「…職人の修行。ただの調べ物だよ」

そのあっさりとした返答に、フレッカ姐の口からはため息が漏れ
強張りから一転
なんとも決まりの悪そうな顔で笑う。



「ああ…なんだ。そりゃそうよね、ゴメン。」

「考えすぎだっつの。」


大輪の向日葵みたいなフレッカ姐の笑顔の陰にも、闇はある。

俺と違って強いヒトだから
今更、何かを顧みる事は無いんだろうけど。






「?」


テーブルの上にはまだたくさん並んだ皿と共に、張り詰めた空気の名残。

フレッカ姐の表情が一瞬険しくなった理由も、謝った意味も判るわけがなく
ティは、ただ俺とフレッカ姐の顔を交互に見るばかり。


「えーと」


自分の発言がこの妙な空気を作ってしまった事を察し
なんとか場を和ませようとしてか
咄嗟にティは、フレッカ姐が片付けようとしたパスタの皿の反対側を掴んだ。





「…お、お代わりください。」











03. ------------------------------------------------






「うぅ…食べ過ぎた。」

「当たり前だ、何人前食ったんだよ。お前。」


用意してもらった部屋のベッドの上で
ティは満足げ半分、苦しげ半分な表情で横になっている。
どんな風か言説明すると、口元は笑ってるのに眉だけが歪んでる感じだ。


「わかんない。」

「俺にもわかんねぇよ。」


この小さい体のどこに収めたのか知らないが
大量のパスタを平らげて、その上お代わりをしようとしたティに
フレッカ姐の笑いが止まらなくなり
結局、場の緊張感は霧散して

後は近況の報告なんかをしながら、夕食は終了。

せめて、後片付けぐらいは手伝うつもりだったのに
旅慣れてないティが日中の疲れを残さないように、という
フレッカ姐の好意に甘えて、俺達は早々に部屋に引き上げてきた。



「美味かっただろ?フレッカ姐の料理は。」

「うん、最高。」


ほとんどパスタしか食ってない気がするが
ティ本人は至って満足気なので、良しとする。


「フレッカさんってスゴイね。」


明るいし面倒見もいい、なにせ気風もいい。
食事も掃除も、一人で何もかもをこなして
この宿を切り盛りしているという点では俺も大したもんだと思う。

昔から姉御肌で、相手が例え年上の男でも
弱気なところを見せようものなら容赦なく張り飛ばしてた様な記憶がある。
その辺はあんまりいい記憶じゃないかも。


ただ、ティの言う「スゴイ」は、俺の考えてる意味とは少し違っていたらしい。


「スタイルいいよね、歌劇に出てるヒトみたい。」

「ああ、そっちか…。」


確かに身長も高いし、プロポーションも誰かと比べれば良い方だ。
口を利かないで済むのなら近寄ってくる男は数多かもしれない。



「大人っぽくて、健康的で明るくてワガママ聞いてくれそうな…
ひょっとしてエスタ兄が言ってた理想の人って、フレッカさんの事?」



「…。」


確かに年上で、面倒見はいい。
健康的で明るいのはよく知ってる。

ただ、ワガママは言うと殴られるかもしれない。


あまりの突飛なティの発言に、絶句するものの
よくよく思い出してみると確かに俺のでっち上げた理想とするタイプに(一部)該当しなくもない。



「あのな?違うんだぞ?」

「胸も大きいよね。」




「…そうだな。」


それでもさすがに無いだろ、と言い返そうとしたのに
ティの先制攻撃にまた言葉を失ってしまった、俺。

あんな適当な、世間一般の男にウケそうな女のイメージを
寄せ集めただけの理想像が
ぴたりとフレッカ姐その人に該当するとは思いもよらず、変に動揺してしまう。
実物を知っているだけに、あまりといえばあまりにもだ。



「片想い?」

「だからそれは違うっての。偶然!」


アルテの時といい、フレッカ姐の事といい
どうもそういった発想に結びつけられがちなのが困る。

こんな事ならフレッカ姐が別の部屋にしようか?って言ってくれた時に、素直にそうすればよかった。
一つのベッドで眠るのだけはなんとなく落ち着かないにせよ
同じ部屋でも、ベッドが別なら恥ずかしくもなんともないし
あとでフレッカ姐に二部屋も片付けさせるのは申し訳ないとティが言い出して
結果「一部屋でもいいよ」って事になったワケだが。

追求されているうちに
俺の好みなんかティにとってはどうでもいいコトだろうに、とか思ってしまう。


「フレッカ姐とは姉弟っぽい感じで、恋愛対象ってタイプじゃねぇよ。
向こうにしても俺のコトは弟みたいなもんだろうし。」


俺がオヤジさんに拾われた時には、既にフレッカ姐は旅団の一員で
子供でワガママ言い放題、作戦行動の時も独断先行だった俺を
叱って諭す役だったから
ティに姉弟とは言ったものの、どっちかというと母親に近い印象か。



「じゃぁ、もしお前が塾行ってる時に友達とかに「エスタのコトどう思ってるの?」とか
言われたらどう答えるよ。」



「へ?あたしが?」

「ああ。そりゃまぁ…勿論、仮にだぞ?」


そういう夢見がちな話が好きな年頃なら、話題に上っても不思議は無いし
現にティがこんな話をしたがるのは
読んだ本の所為だとばかりは言いづらい。


「うーん。どう答えるかなぁ。」


俺のつき返した質問に
ティは、毛布にくるまってもぞもぞし始める。

もしかしたら俺を傷つけない解答を探してるのかも知れないけど
どう紆余曲折したとしても出てくる答えは
俺が思うに、きっと一つだ。



「兄妹みたいなもの、だろ?」




「…うん。」

「俺も誰かに聞かれたら、多分そう答えると思う。」


例え、実の娘と拾われた子の違いはあっても
オヤジさんの所でずっと一緒にメシくって、寝て起きて、面倒見てもらってる間柄だ。
オヤジさんに対する恩義もあるし
一緒に連れ歩く時も、危ない目に遭わせるつもりは毛頭無い。

いずれは誰よりも幸せになって欲しい。

口に出して公言する事は無くても、それが偽らざる俺の本心だと思う。


オヤジさんが手紙に書いていたように、俺のコトを
実の子と同じように感じてくれているというのなら尚更だ。


「まぁ俺にしたら、どっちも大事な家族だけどな。」


村を滅ぼされ、飢えと疲労で動けなくなり死を待つだけだった俺を救ってくれて
色々なものを与えてくれた皆の事。
懐かしい顔が、眠たい頭に浮かんでは闇へ消える。

それでも誰一人として笑い顔を思い出せない事が、心苦しい。



「家族かぁ。うん、あたしもそう思ってるかも。」

「なら嬉しいな。」


次第に重く感じてきた身体を横たえ、黙って隣のベッドを見ると
また、毛布のミノムシが完成していた。

いまいち実感は無いけども、ティのリアクションを見る限り
俺はすごく恥ずかしい事を言ってしまった気がする。

なんだろう、この空気。






「ああそうだ。俺、明日の朝ちょっと散歩いくけど
お前も一緒に行くか?」


肝心な事を言いそびれるところだった。

この旅にティを連れてくることを決めたときから
一緒に行きたかった所がある。
それと
確かめておくべき事がある。

メシの時にでも言おうと思ったのだが
どうもフレッカ姐の所為で言いそびれた形だ。
仕方ない。


「何処までいくの?」

「街の外れだけどな。そう遠くはないし朝飯の前に行って、帰ってぐらいのつもり。
どうしても会わせたいヤツらが居るから。」


「…うん、一緒に行くよ。」

「ああ。そうしてくれ。」





まぶたが自然に降りてくる中、枕元の灯りを吹き消すと同時に
意識もゆっくりと途切れた。


「おやすみ、エスタ兄。」

「おやすみ。」





















「おはようございまーす。」

「あ、お気をつけて。」


朝、どちらかというとまだ早朝。
眠そうな目を擦りながら、おそらく徹夜明けなんだろう任務を遂行している門番に軽く朝の挨拶をして
街の西にあるゲートを俺とティは通り抜けた。


「ここって街に来たときに通った門じゃないよね?」

「ドゥエの街は北以外の三方位に門があって、今通ったのは西門。
ちなみに、昨日通ってきたのは南門。」

「ふーん。」


東門は、海側にあって商業的な目的で使われる事が多い。
むしろ大きな隊商なんかはそこしか使わないし
東側が問屋が立ち並ぶ商業区なのも、そのせいだと思う。

一歩街の外へ出ると、綺麗に整備されていた南門とは違い
西門から街道へつながる道は、荒れていると形容するほうが適切なぐらいの有様で
他の門と比べると、まず人通りが少ないことが窺える。

国の西部へ向かうにしても、南門から繋がる街道を利用して
しばらく南下しないと西の山間部を抜ける道には繋がらないので
そもそもこの門を、普段の通用門として利用する人は少ないワケだ。

使うとしても、街の西側に広がる田畑で作物を作っている農夫ぐらいかもしれない。



「ティ。」

「あ、うん。」


ティを誘導して、西の穀倉地帯へと入ってしまう道をはずれ
少し北にある丘へと向かう方の細い道に足を向ける。


「寒くないか?」

「大丈夫ー。」



春とは言っても雪が残る北の山から吹き降ろされる風は
時折、木枯らしの様に冷たい。

そんな風を受けながらたどり着いたのは、高い山脈を臨む方向。
街をぐるりと囲む高い壁を背にし
北へと向けて迫り出す小さな丘。
俺達はその丘の上から、目の前に広がる荒野を見渡せる位置に居る。





「ここだ。」



「え、でもここって…何も…」


ティも立ち止まった俺の横に並ぶようにして
きょろきょろと辺りを見渡すものの、建物も無い、人も居ない。

俺は「会わせたいヤツらが居る」と言ったけれど
ここには動く者の姿は無い。

見えるものと言えば、荒野を埋め尽くす
規則正しく植えられているかの様に立ち並ぶ
枯れた木に似たモノの群れ。

まるで幻覚を使う魔物にでも騙されているかのような光景に
ただただ、戸惑いを隠せないらしい。



「なんか…怖いよ。」


「そういう風に感じるよな、やっぱり。」


俺が見せたかったものは、そこに確かに在るモノ。
意地悪をしたかったわけじゃない。

これはティが知りたがっていた俺の過去、そのものだから。



「これは、墓地なんだ。」


「お墓…?」


並んで立てられたそれをよく目を凝らして見ると
錆びた剣であったり折れて風雨に晒された弓であったりして
名を記されることもない、あまりに粗末な墓だと言うことが判る。

この街を、そしてこの国を守ろうとして戦い
志半ばにして死んでいった者達のが眠る場所。

あまりにも多くの命が失われた所為で一人ずつを丁重に葬ることもできず
大きな戦いがあるたびに全ての遺体を積み重ね

炎へと還した場所。



この丘から臨む大地の全ては亡骸の灰で、其処に立てられた武器や木片はその墓標。


「ここに、俺やオヤジさんの仲間が居る。」


未だ其処に居る、其処に在る。

志半ばで倒れた者をその土地で眠らせることは、旅と戦いの中で生きる旅団の掟。
それに従い、多くの仲間がここに朽ちた。

彼らは、戦いが終わっても故郷に還る事はできない。
俺達のように生き延びて、「平和」という言葉を口にすることも無い。


望む事も、もう叶わない。




「すごく、悲しい場所なんだね。」

「ああ。」


呟きながら両手の指を胸の前で組み合わせ
死の積もる大地を臨む、ティの横顔にはいつもの明るさは無い。

どうして自分はこんな場所へ連れて来られたんだろう、と
俺を不信に思うだろう。
あるいは、冒険がしたいという気持ちを
俺が砕こうとしているかの様に感じるかもしれない。

そう受け取られても仕方が無い。
自分もどう説明していいのかが判らないのに
ティに、どうしてもこの景色を見せておきたかった。


理由は、ある。




そんな俺の肩に不意に、ぽんと置かれた手。


「やっぱりここだったわね。」

「フレッカさん!」


いつの間に追いついてきたのか
俺達のすぐ背後に、肩で息をしているフレッカ姐が居た。


「来るんだったら、言ってくれたら一緒に来るのに。」


「あ、そうか。フレッカさんもお父さん達と一緒に旅してたから
ここに仲間の人が眠ってるんだよね?」

沈んだ表情を見せまいと、無理に笑顔を作ろうとしたティに
俺がいきさつを説明しようとするのを制して、フレッカ姐自身が首を横に振って答えた。


「ううん。確かに仲間ではあったけど…わたしにとっては一番大事な人も、此処に居るの。」


そう言いながらフレッカ姐は持ってきた籠から途中で買ってきたのだろう、白くささやかな花を取り出し
俺たちの見ている目の前で風に委ねた。


「旦那の、サルヴェがね。」

束ねられていない花は、ゆっくりと舞いながら別れ灰の荒野へ雪のように降り注ぐ。


「ここに…?」

「そ。ほらサルヴェ、他のみんなも!二人が会いに来てくれたわよ。
久しぶりなんだから挨拶の一つでもしたらどう?」



荒野を見下ろすフレッカ姐の言葉の意味を察したらしく
ティは花が舞い降りた方向へ視線を向ける。

花の次にフレッカ姐はワインを取り出し、足元の乾ききった土へ
まるで再会の祝杯をあげるためのグラスを満たすかのように丁寧に注ぐと
ティを自分の隣に呼び、その肩を優しく抱いた。



「どう、サルヴェ。びっくりした?ブラーヴァさんの娘のティちゃんよ。
しばらく見ないうちに…大きくなったでしょ。」





フレッカ姐の旦那、サルヴェは連射を得意としてその名を知られた射手。

ここからまだ東にある国境の砦、その最後の大攻防と言われる戦いに参戦して
指を血だらけのボロボロにしながら何百とも伝えられる矢を一晩で放ち
足止めをするだけでなく、多くの敵の戦力を葬った。


そしてやがて前線が崩壊し、他の仲間と一緒に落ち延びる途中に傷を負い
この街まで戻ってきた後
平和をすぐ目の前にして、力尽きた。

仲間に体を支えられながら俺たちの待っているキャンプへ帰り着き
ようやく戻ることのできたフレッカ姐の腕の中で
満足そうに、でも少しだけ悔しそうな顔で冷たくなっていったその最後は
焼きついて剥がれる事は無い。


「この丘は、平和な時代に辿り着け無かったたくさんの魂が眠る…悲しい場所。
それと同時にわたし達にとって、一番大切にしている場所。
ここに残っている一緒にこの世界を迎えることが出来なかった
仲間や…大事な人の思い出に、わたし達はずっと縛られているの。」


瓶に残る最後の一滴までワインを滴らせると
フレッカ姐は静かな声で、ティに語りかけた。


「だからエスタは、あなたをここに連れてきた。
知りたがってた真実を教えるために。
そんなところでしょ?エスタ。」

「ああ。」


「…あとは自分で言いなさい。」


結局、言い出せなかった事を代弁して、ケツを叩いてもらったワケで
姉のような存在のこの人に、心の強さも優しさも、俺は何一つ敵う気がしない。





「俺と一緒に旅をしたいって言ってくれたお前にだけは、この今という時間が
名も無き多くの犠牲の上にあるものだってコトを知っておいて欲しかった。」


仲間ばかりじゃ無く、自分が生きるために吹き消してきた多くの命の灯
その屍を積み上げた頂に今の俺が居る。



「ここは、俺にとって…」

「エスタ兄が、自分から大切にしてた場所を教えてくれて
あたしすごく嬉しい。」


声と共に、小さい両手が
ぎゅっと俺の手を締め付ける。



「…ここはエスタ兄やお父さん達が、旅を終わらせた場所だったんだね。」



その言葉に俺は頷くしかない。
ここは確かに、俺が旅を終えた場所。

いや

その時は、終わりを迎えるしか無かった場所。
















多くの血を流して死の気配を全身に纏わりつかせ
全滅を覚悟して、最後の時を共に迎えるべく力尽きた仲間達の亡骸を運び
この場所まで辿り着いた俺達は


何故か
夜明けと共に、戦いの終結を謳う宣言を聞かされた。


酒場で酒を飲み、ほろ酔いのまま興じていたカードゲームで
誰かが勝ち逃げを決めてしまった時の様に
簡単に、呆気無く
一方的に戦いの終わりは告げられた。

途端にそれまで街を繰り返し襲っていた、翼を持つ異形の巨獣は消え失せ

サルヴェが守りについていた砦を攻め滅ぼした
死を恐れることのない骸骨や蠢く死体は、土へと還り

人間と見るや襲いかかる程に強暴だった筈の魔物達は
深い森や山、おそらく元居た場所へと姿を潜めた。

朝日とともに
霧のように
煙のように
悪い夢が掻き消えるように。

あと一日、前線に赴くのを遅らせていれば
あるいはほんの僅かに、魔物の爪が深く喰い込んでいたのなら
生と死の立場は入れ替わっていた。

その瞬間は、俺達にとっての完全な境界であって

自分達で勝ち取ったワケじゃなく
横から掠め取られ、それを恭しく与えられたかのような終幕。





平和の訪れを祝うべきなんだろう。


切り開かれた闇に、歓喜するべきなんだろう。




なのに仲間からは
一つも笑い声が上がる事も無く、喜びの雄叫びも聞こえない。

遠くから聞こえる、勝利に酔いしれる街の人々の歓声が喝采は他の世界の出来事のようで
まるで秋の一夜を謳歌する虫の音の様に聞こえ
誰もが言葉を失った。


命をかけて紡いできた旅の、救われる事の無い終わり。
それはまるで書き手にペンを投げ捨てられてしまったかの様な

後味の悪い物語。















俺がオヤジさんとティと暮らし始めてからもう何年経っただろう。
その間、ずっと胸につかえていたものがあった。

「もう戦いは終わった」と言われても
はいそうですかと、それまで握っていた刃は捨てられず
これからはずっと平和だと言われても、俄かには信じられず。
オヤジさんの始めた鍛冶屋を手伝いながら
人知れず、闇夜の度に怯え続けていた俺にとって

誘われて一緒に遊ぶときのティの屈託無い笑顔は
俺にとっては眩しくもあり、憎くもあり。

その素直な心が羨ましくて
歯がゆくて。
ずっと、降り注ぐ陽を直視しようとするかのように
目を細めて眺めてきた。



この小さな旅も最初は
オヤジさんに勧められるままだった筈なのに、今は違う。



「今はまだ、お前に言えない事もあるけど…そのうちに話せる日が来ると思うから。」


半ば無理矢理ついて来たに等しい、ティの持つ夢
明日を自分で切り開きたいという想いが
追いすがる昨日という悪夢を、変えようとする強さを俺にくれた。


「いつでもいいよ。」


数多の骸を臨む丘にあっても、向けられる笑顔はいつもと変わらない。
俺は今までこんなに近くにティを感じた事は無い。

傍に居たのに心は過去だけを見ていた。
自分以外が誰も許す事のできない罪で、記憶に封をして。


「物語に書かれたり伝説に残ったりしてるワケじゃなくても
ここに眠ってる人たち皆が、平和な世界をあたし達に残してくれた。
だからあたしも…この場所を大切に思うよ。」



それはあの時、俺達が一番聞きたかった言葉。



「ありがとう。」





平和の訪れを喜ぶ、姿も見えない英雄の活躍を褒め称える人々の中に
両手を振り回しながら分け入って、飛びかかってでも
出来ない事だと判っていても

戦い抜いて力尽き倒れていった仲間の名を、たった一人にでもいいから、叫ばせたかった。
「あいつが居てくれたから俺達は生きている」と。


世界を救ったのが、結果、ただ一人の勇者だったとしても

散っていったのは、何の特別な力も無い人間で
例えば積み上げられた石垣の一欠けらに過ぎなくても
彼らの死があって今が在るのは、誰もが知っているのに語られる事の無い事実。



その時流せなかった涙は頬を伝い次々に溢れ
嗚咽が、仲間の名に変わる。




ここで一緒に朽ちる事ができず、生き永らえてしまったことが口惜しいのか
共に生きて平和を迎える事が出来なかった事が悔しいのかは、判らない
今でもそれは判らない。

ただ、戦いの中で倒れて行った皆も、ずっと平和が来る事を願っていた。
サルヴェもきっとフレッカ姐と静かに暮らしたかったと思う。

勿論サルヴェだけじゃなくて仲間の誰をも失う事無く、今を迎えたかった。



生きて、生き延びて
皆で平和の訪れを感じたかった。

それは叶わない事だと判っている。
判っていて、自分の罪だと思っていた。



誰もが何をも疑うことなく、平和だという。
まだ俺はそれを心の底からは信じられずに居る。

それならば
仲間たちが望んでいた、これがその争いの無い世界だというのなら

触れる事の出来ない骸や魂を
俺が背負って歩くのはここまでにしよう。


「…この目で、見てくるから。」


待っててくれよ、と
返事の無い荒野を見渡せば
脳裏に映る像は、傷つき疲れた体でキャンプへ戻り
火を囲み、歌を詠い、酒をあおり、毛布を掛けることもなく酔い潰れて眠る懐かしい姿。

次に彼らが目覚める時までに
この先に、明日向かう方向へ、異状が無い事を調べておかなければ
きっと、自分がするべき事まで誰かに言われないと判らないのか?と、笑われてしまうんだろう。



「本当に世界が平和になったのか、確かめてくるから。」


それは、誰に宛てるわけでもない誓い。




かつて途切れてしまった物語ならもう一度、ここで繋ぎ直せばいい。

誰かに言ってもらうだけじゃなく、自分自身が
皆に、皆と一緒に居た記憶に「ありがとう」と言う為に。















「えーと、帰ったらまずご飯食べて
その後は機械牛のこと、調べに行かないといけないね。」

「そうだなぁ、肝心の事を調べないとオヤジさんに怒られる。」


ほんの少しの寄り道のつもりが
それは、途切れて見えなくなっていた本物の道の続きで

一つの大きな終わりと始まりを迎えた所為か
俺がもう少しで理由を忘れるところだった
見たことのない物をその目で確かめるという、この小さな旅。


やがて、まだ見ぬ世界へと続く旅。




かつての仲間にしばしの別れを告げて
俺達三人はゆっくりと丘を下る。
次に会うときは、必ず良い知らせを持って来ようと思う。

冷たかった風も昇ってきた陽のお陰で、わずかに温んだのか
肌をチリチリと擦る様な痛みはもう無い。


「あ、そうだ。昨日の晩御飯の残り物で悪いけどお弁当作ってあるから、二人とも持って行ってね。」

「わ、ありがとー!」


フレッカ姐の心づくしに、ティは嬉しそうに飛び跳ねる。
メシの事となると上機嫌になるのは相変わらずなのに
光が溢れるようなその笑顔を見ると、何故か俺の心に起こる幾重のさざ波。



「お昼もすごいごちそうだね。
調べに行くついでにアルテちゃんの所に行って、一緒に食べない?」

「…お前ってホント、いつも楽しそうだな。」


「うん、楽しいよ?」


俺達二人より、少し先を歩いていたティが
くるりと振り向いた次の瞬間


「えいやっ」」

「…うわっ!?」


こっちに向けて、大きく一歩足を踏み出したかと思うと
俺の腕に飛び付いて
その両手と、身体を強く絡ませる。


「これからエスタ兄と一緒に、たくさんの旅ができるんだから。」


おやおや、と
フレッカ姐が冷やかす様な声を上げるが
聞こえないフリを通しながら、絡みつくティを引っぺがした。



「やめろっての。」

「えー。」

「恥ずかしいから、引っ付くな!」



「二人とも、こんなよく見える所でイチャついたら
皆に笑われるわよ?」


どう見ても俺が一方的に遊ばれてるだけなんだけど…と
好き勝手な事を言うフレッカ姐に、文句の一つでも言おうとそっちの方向を見ると
ニヤニヤと、俺たちの事をさも面白げに見ているフレッカ姐と
その向こうに
陽炎の様に、仲間たちが居た。

ずっと思い出せなかったはずの笑顔で
丘から、俺たちを見送っている。


今までと何も世界は変わらない。
なのに、こんなにも「明日」を近くに感じることができる。



逃げることの出来ない昨日までという記憶
それに繋がる今日、そして明日と



生きる限り、この物語は続く。

旅を終えた者の物語を共に織り成しながら。




















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